もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/前田利昌

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かつおをな、しょうが醤油でじっくり煮るのよ。

メシのおかずに良し。

酒のつまみに良し。

土佐だけじゃねえぜ。江戸でもかつおは食ったんだ。

江戸でかつおは勝つ魚(かつうお)って呼ばれて縁起モノだったんだ。

どっかの相撲取りが魚屋でかつおを値切ったときに魚屋が「勝つ魚を、負けるのかい?」って笑い者にしたくらい、江戸でもかつおは食ったんだ。

前田采女利昌様。

加賀大聖寺新田藩1万石のお殿様よ。

顔がこう、卵みてえにツルンってしててな、奈穂子サンの時代でいう「いけめん」ってえヤツだ。

で、この「いけめんお坊っちゃん」がやらかしたんだ。

綱吉公が薨去されて、寛永寺で法事が営まれた。で、法事の最中に事は起こった。

利昌様が大和柳本藩主・織田監物秀親様をブスリよ。

利昌様も織田様も綱吉公の法事に来た勅使の接待役だった。だから顔を合わせたり口をきいたりすることが多かった。

織田様は利昌様に会うたんびに「若造、若造」って馬鹿にしていじめた。それが続いたもんだから、利昌様も堪忍袋の緒が切れた。

織田様を刺す前の晩、利昌様は家老の木村九左衛門のオッサンに「人は刺すのがよいか、斬るのがよいか」なんておっかねえ質問をしてるんだ。

木村のオッサンも木村のオッサンで「浅野内匠頭は斬ったからしくじりました。人は刺すほうがよいでしょう」なんて答えやがった。

それで次の日、寛永寺で織田様をブスリよ。木村のオッサンの話だとな、何やら利昌様は織田様に二言三言言って、そのあと短い叫び声がして、ワアッて騒ぎ声がしたんだとよ。

織田様のオロク(遺体)を改めたらな、傷は3ヶ所だった。肩から袈裟掛け斬りに1ヶ所、腹から背中に抜けた刺し傷が2ヶ所。

利昌様は「まず腹を刺し貫いて、よろけたところを蹴り上げて袈裟掛けに斬った。それでも腹の虫が収まらないから、もう一度刺した」って言ってる。よっぽど憎かったんだろうな。

利昌様は切腹大聖寺新田藩は取り潰されて1万石は大聖寺藩に返還された。柳本藩も織田様の弟の成純様の相続がすんなりと認められた。

織田様はどうも、家臣たちから好かれてなかったみてえでな。仇討ちの声は一人も上げなかったんだとよ。

ま、こないだ忠臣蔵の話をしたからな。ついでに利昌様の話もしとこうと思ってな。

かつおは握りにしてもウマいんだぜ。

奈穂子サン、また。