もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/結城秀康

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豆腐をな、真ん中をくり抜いて、中に納豆とからしを入れてな。

そんで上からしょうゆをドバーッとかけるんだ。

こいつがまた酒に合うのよ。

ああそうだ。

こないだの話の続きをしなきゃな。

越前中納言松平秀康様。

権現様の次男坊だ。

権現様の長男は岡崎三郎様(徳川信康)ってお方なんだが、三郎様は信長公に切腹させられた。

だから本来は秀康様が徳川家を継ぐべきなんだが、そうはなんなかった。

奈穂子サンの時代は双子が生まれると「めでたい、めでたい」ってなるんだろう?ところがどっこいオレたちの時代は双子なんか生まれた日にゃ大騒ぎよ。「呪われてる。縁起でも無え」ってな。

だから双子が生まれるとたいていは山に捨てるか最悪の場合は水にした。水にするってえのは、殺しちまう(流産させる)ってこった。

秀康様は権現様と永見ナントカって神主の娘のまんってオンナとの間に生まれた。

まんが秀康様を身ごもったとき、例のあの「ひすてりーまま」の築山のババアがまんを折檻した。

素っ裸にして木に吊して棒で殴って折檻した。

悲鳴と殴る音に感づいた権現様の家来が折檻を止めさせて母子ともにいのちは助かったんだがな。そのあとがいけなかった。

まんは双子を生んじまった。

「縁起でも無え」権現様はそう言って最初この子を「水にしろ」って言った。ただ、双子の片っぽが死産だったモンだから権現様も考え直していのちは奪わなかった。

それでも双子で生まれて来た子だから、権現様はこの子を愛せなかった。

だから権現様はこの子に「於義伊(おぎい)」なんてヘンテコな名前を付けた。ひでえ話だ。

奈穂子サンは知らねえだろうが、昔は三河あたりじゃ「ぎぎう」ってえ川魚を味噌汁の具にしてた。で、秀康様はその「ぎぎう」に顔がそっくりだってんで「おぎい」って名前にされちまった。それがそのまま「於義丸」って幼名になった。

ちっともかわいくねえ子だから、権現様はさっさと秀康様を太閤さんに養子に出した。「羽柴秀康」のでびゅーだ。

で、太閤さんに鶴松坊ちゃんが生まれると、今度は豊臣家でも邪魔になっちまって結城家に養子に出された。ここで「結城秀康」ってえ名前が出て来る。

太閤さんが死んで関ヶ原で権現様が勝つと、秀康様は徳川家に呼び戻されて松平姓になった。

秀康様は死ぬまで豊臣贔屓だった。自分に冷たかった実父と自分にいつも優しくしてくれた養父を秤にかけたんだろうぜ。

「親の愛」ってえのはだいじなんだなあ、奈穂子サン?

納豆にはネギ刻まねえとな。

奈穂子サン、また。