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奈穂子様/池田輝澄一件-山崎騒動-

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今日は弥七とれんこんの天麩羅を食ってるところだ。塩つけてな。

池田石見守輝澄様。

播磨宰相様(池田輝政)と督姫様の間に生まれたお殿様でな。だから権現様の外孫にあたる。

督姫様の御子ということで松平姓を与えられて従四位下侍従にまで昇進しなすった。ま、母親の七光りってトコだわな。

石見守様は播磨山崎6万石の藩主でな。石高は小せえが松平姓を与えられた立派なお大名だった。

石見守様が治めていた頃に山崎は道路やら何やらが整備されてるから、ま、名君といえば名君よ。少なくともトンチキじゃなかったぜ。

ただまあ、物事を見通す眼っていうのかねえ、そういうものに欠けたお方だった。「こうするとこうなる」がわからねえお方だったって言やあ奈穂子サンにもわかってもらえるんじゃねえかな。

山崎藩池田家には上席家老(筆頭家老)の伊木伊織様ってえよく出来たご家老がいらっしゃったんだが、どうも伊木様は石見守様とウマが合わなかったらしくてな。石見守様も初めのうちはハイハイ言うこと聞いてたんだがな、だんだん「藩主はオレだ。オレの好きなようにさせろ」って思うようになった。

そこに、藩医の菅 友伯ってえオッサンの紹介で小河四郎右衛門ってえ浪人野郎と会った。何せ浪人だから話が面白れえんだ。そンで石見守様は気に入ってこの浪人野郎を家老にまで取り立てた。

昨日まで浪人だったヤツがある日突然6万石の家老職よ。小河のヤツは大名家のしきたりなんざ解かりゃしねえし、解らりゃしねえから伊木様たちといらねえことでいがみ合う。

いきなり家老職なんかにしたらこうなるのは目に見えてるんだがな。石見守様はそこが見えちゃいなかった。で、ここからは奈穂子サンのお察しの通り、「伊木ぐるーぷ」と「小河ぐるーぷ」が対立して御家騒動になったのよ。

小河のヤツは強気だわな。もともと石見守様が「藩主親政」のために家老に取り立てたんだ。「伊木伊織、何するものぞ」ってなモンよ。対する伊木様も「上席家老はこのオレだ。浪人野郎なんぞ屁でも無いわ」って真っ向からいがみ合った。

実はな奈穂子サン、石見守様は小河のヤツを家老にしてすぐあとに病に倒れてな。ちょうど参勤交代で江戸に向かう道中で倒れられたモンだから、そのまんま江戸でご静養ってことになった。騒ぎは石見守様江戸ご静養中に起きたのよ。

「伊木ぐるーぷ」のヤツが「小河ぐるーぷ」のヤツに借銀(西日本は銀が通貨)しててな。この借銀を巡って「とらぶる」になった。「伊木ぐるーぷ」のヤツが四の五の言わずに借りたゼニ返しゃそれで「はい、おしまい」だったんだがな、相手が「小河ぐるーぷ」ってえことでへそ曲げてゼニ返すのを渋った。それで双方の「ぐるーぷ」が斬り合いの喧嘩になった。

その場では誰も死なずに事は収まったんだがな、「小河ぐるーぷ」の連中が「このままじゃ収まらねえ」って藩医の菅のオッサンを通して石見守様に訴え出た。

菅のオッサンとしちゃ「伊木ぐるーぷ」を追い落とす「絶好のちゃんす」だ。菅のオッサンは早速ご静養中の石見守様に話を膨らませて御報告よ。藩主親政を望んでいた石見守様も「伊木の連中に非あり。小河の連中に非無し」って裁定を下しなすった。

これで伊木様は面目丸潰れになっちまってな。伊木様はてめえの「ぐるーぷ」の連中100人ばかし連れて山崎藩を脱藩した。伊木様は脱藩するときに「目にもの見せてやる!エイエイオーッ!!」って鬨の声あげたって言うんだから、まともじゃねえわな。

上席家老をはじめ100人の脱藩だ。幕府としても放って置くワケにはいかねえ。結局山崎藩はお取り潰し、石見守様は鳥取藩お預けになって因幡鹿奴1万石を与えられて鹿奴で生涯を終えた。伊木様以下「伊木ぐるーぷ」20人は切腹、小河四郎右衛門と菅のオッサンは流罪になった。

浪人野郎をいきなり家老職にした石見守様もいけねえが、いつまでも石見守様を子供扱いした伊木様にもいけねえところがあった。ま、この騒動は100人なんて大人数が藩から脱走したところがちょいといつもの御家騒動とは違うんだがな。

石見守様は決してトンチキじゃなかったんだがな、ちょいと先を見通す眼がなかった。

れんこんには「先を見通す」ってえ意味があるんだ。

だからおせちの煮染めにゃれんこんが入ってるのよ。「先の見通せる明るい一年になりますように」ってな。

奈穂子サン、また。