もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/大岡忠相

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春は鰆だァな。

魚に春で「さわら」だなんて、漢字ってえのは面白えもんだな。

鰆に味噌塗ってな、そんでジュウ~っと焼くのよ。つまみによし、おかずによしだ。

大岡越前守忠相様。

吉宗公を生涯支え続けた忠臣よ。

吉宗公が越前守様を知ったのは越前守様が伊勢山田奉行在職中だって言われてるが、実際は吉宗公が紀州藩主に就任する2年前、元禄16年の冬のこった。

元禄16年の冬、関東一円にでっけえ地震が起きた。死者は3万7千人だ。さらに運の悪いことに地震のあとに大火にみまわれた。

江戸の町はすっかり壊れちまったが、この建て直しで越前守様は大きな業績を挙げた。そのことが、まだ松平頼方と名乗ってた吉宗公の耳に入った。吉宗公は奈穂子サンの時代でいう「ぼうさいいしき」を持っていなすったからな。このとき吉宗公は頭ン中に大岡忠相ってえ名前を刻み込んだ。

それから8年くらい経って、越前守様は伊勢山田奉行に就任した。山田に限らず遠国奉行はだいたい50歳くらいのジジイが就く役職なんだがな、越前守様は36歳で就任してる。ま、先の江戸建て直しの実績を買われてのことだろうけどな。

ただな奈穂子サン、この山田ってえ土地はちょっとやっかいな土地でな。

隣が伊勢松坂領、つまりは紀州藩の領地でな。

山田は天領、松坂は紀州領。どっちがエラいかは奈穂子サンの時代でいう「ビミョ~」なトコだった。

「ビミョ~」だから代々の山田奉行は松坂領の連中が境界を越えて山田領で好き勝手やっても見て見ぬふりをした。松坂の連中は勝手に山田領の中で田畑作ってやりたい放題をしてやがった。

そこに、越前守様が赴任した。越前守様は松坂領の百姓3人を死罪にした。「天領を侵すとは何事ぞ!」ってな。山田奉行所の連中は震えた。「紀州様に逆らって、大岡様は切腹だ」ってちょっとした騒ぎになった。ま、御三家の領民を殺したんだ。切腹よりひでえ処分をされるかも知れねえわな。

ところがどっこい越前守様にはお咎め無しよ。これはな、吉宗公がこの一件をしっかり調べ直してな、「松坂の連中のほうが悪い。大岡は法を守った」って感心したからよ。

吉宗公が八代様におなりになると、越前守様は江戸町奉行に任ぜられた。江戸町奉行は奈穂子サンの時代の「裁判所長」と「東京都知事」と「警視総監」を兼ねた要職よ。この人事は江戸の大地震の後始末と山田奉行所での仕事ぶりへの評価だ。

大岡裁き

奈穂子サンもこの言葉ァ聞いたことがあるかも知れねえな。ま、半分くらいは作り話なんだがな、本当にあったお裁きから一つ。

5歳の男の子と7歳の男の子が喧嘩になってな。そンで5歳の男の子が7歳の男の子を竹の棒で刺して殺しちまった。

もちろん、5歳のぼうずはハナっから相手を殺す気なんてねえんだがな。運悪く相手が死んじまった。7歳の坊やの親が越前守様に訴え出た。「相手を死罪にしてくれ」ってな。

越前守様は困った。

人殺しはいけねえが、何せ5歳のぼうずのやったことだ。越前守様は「このぼうずを死罪にしたくねえ」って思った。

そこで越前守様は訴え出た親に「15歳未満の者の死罪は御法度じゃ。どうしても死罪にと申すのであれば、まずこの者を八丈島流罪にして15歳になったら死罪にするが、それまでの10年間、その方どもでこの者の面倒を見られるか?」と言いなすった。

10年間ぼうずの面倒を見てたら莫大なゼニがかかる。死んだ坊やの親は訴えを取り下げた。

これでぼうずは命拾いした。「罪を憎んで人を憎まず」これが「大岡裁き」よ。

越前守様は名奉行だったからこそ「大岡裁き」の話が作られたんだなあ。

鰆に味噌塗って焼いて、熱燗をキュッとやるのよ。

おっと、火の用心は忘れちゃいけねえな。越前守様に怒られちまう。

奈穂子サン、また。