もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/何羨録-きす釣りと忠臣蔵-

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※今回取り上げる津軽政兜は本来「兜」の文字には違う文字が入るのですが、携帯電話では表示・変換が不可能なため似ている文字の「兜」を当て字しています。

若狭や近江じゃ鯖そうめんなんてのがある。

こいつを小石川(水戸藩邸)で食ったんだがな、オレも弥七も「うめえ、うめえ」っておかわりまでしたんだ。でもよ、水戸のジイサンは「これはしょっぱい!」って顔しかめちまってな。

オレはあの味は好みだぜ。

津軽采女正政兜様。

陸奥黒石5,000石の交代寄合のお殿様よ。

交代寄合ってえのは、参勤交代のあるお旗本のこった。大名格って言えば奈穂子サンにもわかってもらえるんじゃねえのかな。

この采女正様のカミサンが、例のあの吉良のジイサンの娘であぐりってえ名前のお嬢さんだった。

おしどりだったんだがな、たった一年であぐりさんが死んじまった。

采女正様はこのあと正室を迎えなかったくらいだ。そりゃもう本物のおしどりよ。

采女正様の不幸はまだ続く。あぐりさんの死の4年後、采女正様は殿中で左足を大けがしちまう。

津軽の連中は「不慮の事故」ってえ言い方しかしねえからどんなことがあったのかはわからねえんだがな。

ま、そんなこんなで江戸城での御役を辞めて、采女正様は本所に屋敷替えになった。本所はかつての舅の吉良のジイサンも住んでるとこだ。

采女正様は吉良のジイサンとはウマが合ったらしくてな。「ゼニ、ゼニ」ってうるせえ嫌われ者の因業ジジイの数少ねえ話相手だった。

だからだろうなあ。大石様が吉良のジイサン斬ったとき、真っ先に吉良邸に駆けつけたのは采女正様だった。奉行所やお役人よりも采女正様のほうが早かった。吉良のジイサンは嫌われ者だったが、ジイサンを心配する人間はいたんだ。

奈穂子サンも知っての通り、このあとは赤穂の浪人たちは人気者になって吉良家はお取り潰しになった。采女正様は「世の中が嫌になった」って言ってたな。

で、采女正様は釣りにのめり込むようになった。釣り糸垂れて座ってるなんてオレにゃ性に合わねえんだがな、好きな人は好きなんだよ。釣りってヤツが。

奈穂子サンの時代はどうだか知らねえが、オレたちの時代は江戸湾じゃきすが釣れた。口づけじゃねえぞ。魚だぞ。

このきす釣りに大層のめり込んでな。とうとう『何羨録』なんていう釣りの本まで書いちまった。

『何羨録』は日本で初めての釣りの本だ。奈穂子サン、覚えといてくんな。

「世の中が嫌になった」それで釣りにのめり込んで本まで残した。

ま、お殿様にもいろんなのがいるってこった。

江戸前じゃ「きすは握ると店が潰れる」ってんで握らねえんだ。だから天ぷらで食うようになった。

奈穂子サン、また。