もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/丹羽長貴刺殺事件

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弥七のヤツが小石川のお屋敷(水戸藩邸)から葛餅を持って来たから、こいつを井戸で冷やしてな。

きな粉をたっぷりまぶして、その上に黒蜜をたっぷりとかける。

ま、水戸様は御三家だからな。諸大名からの贈り物もいろんなモンをもらうのよ。

丹羽左京大夫長貴様。

陸奥二本松10万7百石のお大名だ。

二本松藩は准国持の家柄でな、奥州では仙台・会津・盛岡に次ぐ名門よ。

二本松藩は10万石だが、度重なる災害でボロボロだった。

まず、長貴様が二本松藩を継いですぐに二本松城下で火事が起きた。城下をことごとく焼いちまったモンだからさあ大変だ。

で、城下を作り直すのに商人やら町人やら銭持っていそうなヤツに「苗字を許す」だとか「二本差しを許す」だとか言って銭を出させた。城下町は復興したが、俄か武士が増えちまって藩の権威はガタ落ちよ。

ところがだ奈穂子サン、二本松藩の不幸はこれだけじゃ終わらねえ。

火事の5年後、今度は奥州が大干魃に見舞われる。カラッカラに渇いて作物が育たねえ。こン時は損毛が5万3千石。10万石の半分以上が吹っ飛んだ。

これだけでも藩財政を建て直すのにえれえ時間がかかるってえのに、この13年後に長貴様にとっても二本松藩にとってもとどめの一撃が突き刺さる。

その年はやけに寒い日が続いてな。奈穂子サンの時代でいう「低温注意報」ってヤツが毎日毎日出るような有様だった。

二本松藩の作物はちっとも育たねえ。とうとうその年の損毛は9万9千石。藩には1千石しか残らなかった。

二本松藩の御重臣方は途方に暮れた。それでも長貴様は「諦めちゃなんねえ」って自ら藩財政の建て直しに取りかかった。

で、成田頼綏ってえオッサンに全権与えて改革をおっ初めたんだがな、この成田のオッサンがえれえ嫌われようでな。結局長貴様直々の改革はすぐに潰れちまったのよ。

それからだ、奈穂子サン。長貴様が発狂乱心しちまったのは。そりゃあ10万石のうち9万9千石も損毛が出たら誰が殿様やったって気ィ狂っちまう。

そうは言っても藩主がトンチキだと藩がお取り潰しになっちまう。とうとう御重臣の依包源兵衛様が「二本松十万石を守るため、御免!」って叫んでな。それで長貴様をブスリよ。

長貴様を刺すとき、依包様の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。本当にツラかったんだろうぜ。

武士ってえのは、窮屈な水槽で泳ぐ魚みてえなモンよ。刺された長貴様も刺した依包様も、どっちもツラかったんだろうぜ。そう思わねえかい、奈穂子サン?

「どうして丹羽長貴さんの時代に弥七さんがいるんですか?」

細かいこと言わねえでくれよ、奈穂子サン。

葛餅はよォく冷やしてから食ったほうがウマいぜ。

奈穂子サン、また。