もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/本多利長

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牛肉を砂糖としょうゆで甘しょっぱく煮て卵黄につけて食べる。

弥七が言うには「すきやき」って名前の料理でな。まあ牛肉は彦根藩の周辺の土地、例えば都やその周りの西のほうの人たちしか食わねえからな。

オレはこの「すきやき」が好きなんだがな。

本多越前守利長様。

奈穂子サンの言う通り、トンチキのニオイがプンプンするお大名だ。

ま、本多一族ってえことで毛並みはいいんだがな、トンチキだった。

遠江横須賀5万石のお大名でな。血筋から言っても普通にしてりゃあ老中職まで見えてたんだが、そこはまあ奈穂子サンもわかるようにトンチキは老中職なんざなれねえわな。

どうトンチキだったって?

越前守様は、横須賀藩の年貢をきつく取り立てた。年貢の取り立て方法が「色取り検見」ってやり方でな。「色取り検見」ってえのは、早ええ話が依怙贔屓よ。つまりは袖の下で納める年貢の量が決まっちまう。

だから袖の下渡せねえお百姓は毎度毎度重い年貢に泣かされ続けるんだ。それにみんながみんな袖の下を渡せるわけじゃねえしな。袖の下渡せるお百姓のほうが少ねえくらいだった。

で、そんだけお百姓を搾り上げて、そのゼニで何をしたかって言うと、このトンチキは吉原通いをしたんだ。

越前守様は早くに御正室様を亡くされたんだがな。驚くなよ奈穂子サン、このトンチキ越前守様はあろうことか吉原の傾城を身請けして正室に据えたのよ。商人ならいざ知らず、お大名が傾城を身請けするなんざ聞いたことが無え。とんでもねえことしやがる。

さらにはこの傾城が死ぬと、今度は別の傾城を身請けしてまた正室に据えた。トンチキもここまで来ると病そのものだわな。

まあ奈穂子サンから見れば傾城を正室にしてるんだから吉原通いはやめるんだろうって思うんだろうけどな、越前守様は吉原通いをやめねえんだ。よっぽどオンナの肌の甘ったるい匂いが好きなんだろうぜ。

だがな、結局この吉原通いがトンチキ越前守様に引導を渡すハメになった。家綱公が薨去された際、諸大名は全員大慌てで御城(江戸城)に登城したんだがな、トンチキ越前守様だけは家綱公の薨去を知らずに吉原で傾城とチョメチョメよ。

綱吉公はこのトンチキに「こいついい度胸してんじゃねえか」ってお怒りなすった。で、このとき綱吉公は腹ン中で横須賀藩のお取り潰しをお決めになられたのよ。

そこへ、横須賀藩の領民が幕府へ訴え出た。「もう色取り検見には耐えられません」ってな。これでトンチキ越前守様は「じ・えんど」よ。しょうがねえトンチキお大名だ。

トンチキ越前守様はあとで罪を許されて出羽村山に1万石与えられて大名に復帰した。ま、村山藩主になってからはさすがに吉原通いはやめたみてえだがな。

西のほうの遊郭じゃ「すきやき」は「好き焼き」って呼ぶのよ。チョメチョメの前に精をつけるって意味でな。

まあアレだ。遊郭通いはオトコの性だが、家を潰しちゃいけねえな。

奈穂子サン、また。