もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

奈穂子様/象、来日

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ほうれん草に焼いたしいたけの千切りを和える。

これが冷や酒に合うのよ。

ほうれん草の苦味としいたけの香ばしさが何とも言えねえのよ。

奈穂子サン、象って知ってるかい?

何?知ってて当たり前でしょって??

そうかい。

オレたちの時代はな、奈穂子サンの時代とは違うのよ。象なんて、オレァこれまで生きて来て一度しか見たことねえぜ。そのたった一度を拝ませてくれたのが吉宗公よ。

あれァ吉宗公が生まれる前のことだったな。家綱公の頃の話だ。オランダからな、面白え書物が献上された。

『動物図鑑』ってえ名前でな。目の周りが青い鳥やら背の高い馬やらの絵が書かれてるんだ。で、吉宗公が江戸城に入ったとき、こいつを真っ先に読んだんだ。

吉宗公は図鑑に出て来る動物を「生で見てえ」って言い出してな。ヒクイドリ、ジャコウネコ、クジャク、ダチョウ、シチメンチョウ、ガチョウ、インコ、キュウカンチョウ…ああもう数え上げたらキリが無えや。こいつらをみんな将軍の権限で輸入したのよ。

それでな奈穂子サン、吉宗公は特に馬と象に興味を示されたのよ。吉宗公はからだを動かすのが好きでな、馬乗りも大好きだった。そこで吉宗公はまず馬をオランダから仕入れた。奈穂子サンの時代で言う「ひんしゅかいりょう」ってえのをさせるためだ。「背の高い馬に乗りてえ」吉宗公はそう思ったのよ。

で、馬の次に吉宗公は象を輸入したんだ。これが享保13年のことだ。

交趾(ベトナム)ってえトコから象の夫婦を輸入した。メスが7歳、オスが5歳の「姉さん女房」だわな。

ま、この夫婦はな、残念なことにメスが長崎で死んじまってな。ただオスは生きてるから何としてでも江戸の吉宗公に会わせなきゃならねえ。

年が明けて享保14年の3月のことだ。象は長崎を出発して4月に都(京都)に着いた。

そりゃもう、長崎から都までの道中はタイヘンだったぜ。象なんて日本国にゃいねえからな。面倒の見方も連れ歩き方もわかりゃしねえ。そこで長崎奉行がオランダ人に頼み込んでな、象の「まにゅある」を作らせたんだ。「その通りにやりゃあ、無事に江戸へ行ける」ってな。

都に着いたらミカド(中御門天皇)が「朕も象が見たい」って言い出してな。ただな奈穂子サン、無官の者は龍顔(天皇の顔)を拝むことは出来ねえんだよ。そこでだ奈穂子サン、朝廷では象に「従四位下・広南白象」って位を与えた。従四位下国持大名と同格よ。大した象だぜ。

4月の28日だったな。

ミカドと上皇様(霊元上皇)は象と御対面されたのよ。オレたちの時代で象と御対面されたミカドはこのお二方くらいだぜ。

象はそれから1ヶ月、ノシノシと東海道を歩き続けてな。5月27日に象は江戸城に入ったんだ。

吉宗公は上機嫌で象を諸大名にお見せになった。諸大名に見せたあと、象が江戸城を出た途端に江戸っ子がワアッて群がった。みんな仕事放っぽり投げて象に群がったんだ。しょうがねえなあ。

象は12年間幕府で飼育されたあと、多摩郡中野村(いまの東京都八王子市)の農民の源助ってえのに下げ渡された。

この源助のヤツがひでえ野郎でな。象のフンを麻疹や疱瘡に効く薬だって売り出したのよ。もちろん象のフンにそんな効き目は無えよ。それでも買うヤツはいたし源助はそれなりに儲けた。世の中何が当たるかわかりゃしねえな。

ま、これがオレたちの時代の「象ふぃーばー」だ。象を当たり前に見られる奈穂子サンにゃわかんねえ話かも知れねえがな。

ほうれん草の次は菜の花の天ぷらだ。こいつも酒に合うんだぜ。

今日はオレのつまみも菜っ葉ばっかしだ。象も菜っ葉しか食わねえんだよな。

奈穂子サン、また。