もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様番外編/長岡興秋

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やっぱりホロ酔いにはあったけえ蕎麦だ。

ホロ酔いの掛け蕎麦はたまんねえなあ。

麻由坊、今日は何の用事で来たんだ?

どうせまたどっかのお大名のお取り潰しの話聴かせろとかって言うんだろ。

今日はもう一杯やっちまって何にも話す気しねえから明日出直せ。

あん?

うなぎの蒲焼きだ?

それをさっさと出せよ麻由坊。

じゃ、一つ話を聴かせてやるから。

長岡興秋様。

肥後の三斎様(細川忠興)の次男坊だ。

三斎様にゃ忠隆様ってえよく出来た嫡男がいたんだがな、関ヶ原のあと廃嫡しちまった。

で、忠隆様のすぐ下の弟が興秋様よ。ただな麻由坊、興秋様は家を継がずに細川家は興秋様の弟の忠利様が継いだのよ。

「長幼の序」からいきゃあ興秋様が継ぐべきなんだがな。三斎様は忠利様を嫡子にしたのよ。

ま、ここが三斎様の芸の細けえトコでな。

麻由坊、おめえ、「人質」って言葉聞いてどんなモン想像する?まァ麻由坊の時代の人質とオレたちの時代の人質はちょっと違うんだな。

オレたちの時代の人質はな、「証人」って呼ばれた。臣従の証の人間ってえ意味で「証人」って呼ばれた。これが人質のことよ。

で、この人質の生活なんだがな、自由なんだよ麻由坊。別に何か法度に縛られてるワケでも無えしな。人質はな麻由坊、よその藩からの人質と付き合ったり幕府のお偉方と付き合ったり、その藩の顔だったんだ。だから麻由坊が思うような「まいなすいめえじ」とは違うのよ。

三斎様はな、国許にいた興秋様よりも忠利様を跡継ぎにしたほうが幕府と付き合いやすいって思ってな。それで興秋様に「細川家は忠利に継がせるから、おまえが代わりに江戸へ人質に行け」って言った。

興秋様にすりゃあ冗談じゃ無えわな。興秋様は人質に江戸へ行く日に小倉から逃げ出した。で、ここからだ麻由坊。興秋様はな、大坂城に逃げ込んだのよ。なかなか出来ることじゃねえぜ。

ま、あとは麻由坊の想像通りだ。興秋様は大坂の陣で豊臣方として戦って、大坂落城後に細川軍にとっ捕まった。

三斎様はカンカンに怒ってな。「腹を切れ」って切腹させた。と、世間では言われてるんだがな。どうも違うみてえなんだよ麻由坊。

こいつァ弥七が水戸のジイサンから聴いたって言うんだがな、三斎様は興秋様をこっそり天草に落としたって言うんだ。たしかに天草にゃあ興秋様の子孫を名乗る庄屋がいるし、何せ三斎様は若い頃に山崎で敗れた明智の縁者をこっそり匿って家臣にしてるくれえだ。

ま、「人質はイヤだ」って脱走するやんちゃ坊主だ。おとなしく腹切るとも思えねえしな。多分その天草の庄屋とやらは本当に興秋様の子孫なんじゃねえのか。

これが長岡興秋様脱走一件だ。

麻由坊、掛け蕎麦にうなぎも悪くねえが、やっぱりうなぎのお供はざる蕎麦だ。

麻由坊、またな。