もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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いずみ江戸日記/大坂の陣

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まさか江戸ではも食えるなんて思っても見なかったぜ。

骨切りはもを梅肉で和える。

上方はみんな舌が肥えてやがるからな。

ん?

いずみサン、そいつァ豊臣の頃の大坂城の絵図面ですかい?

どうもこう、いずみサンは危なっかしい手紙やら絵図面やらばっかし持ってていけねえな。

で、いずみサン、今日ははも食べながら大坂城の話ですかい?

何でえ、いずみサン、絵図面の濠ンとこ指差して。「何で豊臣は総濠埋め立てられるの黙って見てたの?」って?

わかりやした。

じゃ、今日はその話をいたしやしょ。

いずみサン、ちょいとお耳を拝借しますぜ。

いずみサンも知っての通り、大坂冬の陣幕府軍を散々苦しめた。特にあの真田丸をこさえてからは幕府軍は手も足も出なかった。

いずみサン、権現様ァな、いっぺんに大坂城を片そうとは考えちゃいなかった。太閤が生前、権現様にこんな話しててな。「この城落とそうと思ったら、まずは何でもいいから濠を全部埋めちまうこった。いっぺんに力攻めで落とそうとしねえこった」ってな。太閤も底抜けにお人好しでさァ、いずみサン。権現様にそんな策授けるなんざ。

権現様は実際に大坂城を攻めてみて太閤の言葉の意味がわかりなすった。そうなりゃあさっさと和睦に持ち込んで濠を全部埋めちまいてえんだがな、何せあの真田丸が効いてやがる。豊臣有利の戦況で和睦にしても豊臣は濠の埋め立てには応じねえ。

そこで権現様は大坂の備前島ってえとこにな、エゲレスの大筒置いてな、そンで大坂城天守閣を狙い撃ちよ。ありゃあちょうど淀殿が昼メシの時間でな。侍女たちが膳を運んでた頃合いだ。そこへ大筒の砲弾がズドンよ。

いずみサン、そりゃもう大坂城内は阿鼻叫喚そのまんまだったぜ。血まみれの昼メシに、壊れた建物の下敷きになってるオロク。この景色を見て淀殿が気違いさながらに叫び出したんだ、「和睦!和睦じゃ!」ってな。

これで幕府有利の状態で和睦出来る。だがないずみサン、幕府有利の状態でって言っても「有利」と「勝利」は違うのよ。だから全ての濠の埋め立てまではさすがに要求出来ねえ。

そこでだ、いずみサン。あのお方の出番ってワケだ。

あのお方ってえのは本多佐渡守正信様よ。

権現様に天下を取らせたあの佐渡守様だ。

佐渡守様はな、「向こうの全権は大野修理(治長)でしょうから、こちらは私が参りましょう」って権現様に言いなすった。

権現様は佐渡守様を和睦の全権にしなすった。大坂城も豊臣も、こンとき運命が決まっちまった。

和睦の条件はほとんどが豊臣有利な中身でな。ただ一点、いや、ただ一行、さりげなく書かれた条件があった。

「城の総濠を埋め立てること」

いずみサン、オレたちの時代は城の外濠のことを「そうぼり」って呼んだんだ。「そうぼり」は本来「惣濠」って書く。いずみサン、覚えといてくんな。

この一行を見て大野修理は「惣濠」を「総濠」と書き間違ったんだろうって勝手に思った。「惣濠」も「総濠」も読み方ァおんなじ「そうぼり」だからな。

いずみサンの時代に当て字ってあるだろ?大野修理はその程度の感覚で「総濠」の二文字を読んだんだ。いずみサンの時代にゃあ「ぱそこん」があるから文字の書き間違いなんざまず起こらねえんだろうが、オレたちの時代は文書の誤字なんざ当たり前にあった。そこがいずみサンの時代の当て字との違いだな。

大野修理は「外濠だけなら構わねえや」って和睦に合意した。で、次の日の朝だ、いずみサン。どっからかき集めたかは知らねえが、大量の黒鍬(土工)があっという間に外濠も内濠も埋め立てちまった。「約束が違うじゃねえか!」大野修理は佐渡守様に苦情言い立てたんだがな、この苦情に対する佐渡守様の返事が権現様と佐渡守様の悪名を決定付けたのよ。

「総ての濠で『総濠』。この話、これで終いじゃ」

いずみサンの時代じゃ権現様は「タヌキオヤジ」って呼ばれてるんだろうけど、その悪名はこの和睦のときに付いたんだぜ。

「総ての濠で『総濠』」

そりゃ、決してホメられたモンじゃねえが、大坂城と豊臣があるうちは戦国は終わらねえんだ。

いずみサン、この一行はな、死後もなお悪名を被る覚悟で書いた一行なんだよ。

その覚悟実って、オレたちは平和な世の中を楽しめたってえワケだ。

はもの骨切りは丁寧にやらねえとダメなんだ。

芸の細かさあってこそのはもの梅肉和えよ。

いずみサン、また。