もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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いずみ江戸日記/島原の乱

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ああ、いい匂いがすらァ。

いずみサン、そいつァあじの干物ですかい?

オレァそれ一匹で何杯でもメシが食えらあ。

いずみサン、今日はまたアブねえモン持って来たんだなあ。

そいつは原城の絵図面じゃねえか。

そいつを持って来たってこたァ、島原の一件の話をしてくれろってことでしょうよ。

しょうがねえお嬢さんだなァ、いずみサンは。

それにもう一枚。そのもう一枚の絵は天草四郎の晒し首の絵じゃねえか。

わかったよ、わかりましたよいずみサン。

じゃ、ちょいとお耳を拝借しますぜいずみサン。

いずみサンの時代は「世界みな仲良く」だからピンと来ねえだろうが、オレたちの時代は違ってた。

いずみサン、オレたちの時代はオランダ・エゲレスを「紅毛国」、イスパニヤ・ポルトガルを「南蛮国」って呼んだんだ。

今日の話、島原の一件はな、この「紅毛国」と「南蛮国」の代理戦争でもあったんだ。

いずみサンも知っての通り、島原の一件はキリシタンの百姓と松倉・寺沢領で虐げられた百姓、それに加藤浪人・小西浪人が合流して原城に立て籠った反乱だ。中心になったのがキリシタンの百姓と小西浪人でな。キリシタンの百姓と小西浪人は大坂の陣のあと居場所が無くなっちまってな。松倉・寺沢領ではキリシタンの百姓は拷問のうえで殺されちまうし、小西浪人の連中も主君・小西行長関ヶ原で首打たれてからン十年経つってえのにキリシタン捨てらんねえばっかしに貧乏浪人続けてた。

お百姓も小西浪人もキリシタンってえ根っこは一緒だ。利害が一致すりゃあ手ェ組んで戦かわあな。で、そこにキリシタンじゃねえんだが松倉・寺沢領で虐げられた百姓と御大老土井利勝)に取り潰された加藤浪人が加わった。その数、3万7千人。

いずみサン、ただの3万7千人じゃねえぞ。浪人が混じってるんだ。それは戦闘を指導出来る「ぷろ」が混じってるってことなんだぜ。このいくさがただの百姓一揆じゃなかった証拠に、原城に立て籠った連中は兵糧だけじゃなくて、武器弾薬をしっかり用意してたのよ。こんなの、一揆軍に「ぷろ」がいたからに決まってるじゃねえか。

幕府でも原城に「ぷろ」が混じってるのをつかんでたからな。それならってことで家光公は伊豆の旦那(松平信綱)を総大将に任じて島原へ行かせた。

伊豆の旦那は島原に着くと、徹底した兵糧攻めを命じた。次に、城内にいた山田右衛門作ってえ絵描きのオッサンに渡りをつけて内通させた。

そんだけやったうえで、伊豆の旦那はオランダ船を使って海上から原城を砲撃させた。オランダ船が砲撃を浴びせるのを見て、キリシタンの百姓や小西浪人たちはイヤ~な顔をしたんだ。実はないずみサン、原城キリシタンの連中はポルトガルの支援を受けてたんだ。ポルトガルの連中はな、原城の連中を足掛かりにしてキリシタン布教と日本の植民地化を狙ってたのよ。伊豆の旦那はそこまで読んでオランダ船を使ったんだ。

ま、あとはいずみサンのご想像通りだ。徹底した兵糧攻め原城の食糧は底を尽いた。空腹に耐えかねた原城の連中は水汲みを口実に幕府軍に投降する者、幕府軍に突入して斬り死にする者が続出した。

伊豆の旦那は斬り死にした者の腑分け(解剖)をしてな、胃の中に海藻しか入ってねえのを確かめたうえで原城総攻撃をお命じになった。

一揆軍死者3万人以上、幕府軍死者5千人以上。原城は落城して天草四郎もとっ捕まって首打たれた。

その天草四郎の生首をないずみサン、伊豆の旦那は長崎大波止ポルトガル商館の真ん前に晒したんだ。伊豆の旦那は遠回しに「おまえたちが百姓どもと小西浪人を焚き付けたこと、全てお見通しだぞ」って言うためにな。

江戸に帰った伊豆の旦那はありのまんまを家光公にご報告よ。その後のこたァいずみサンの知っての通りだ。キリシタン取り締まりはますます厳しくなったし、御大老の御指図でポルトガルとはお手切れ。代わってオランダが日本国の通商相手になった。

あじを干物にする。

いったい誰が思いついたんだろうねえ。

干物に白いメシ。

しあわせだよ。

いずみサン、また。